富士のフェニックスセレモニーの一ヶ月前、日本の北のゲート開きの旅をした。日本最北端に位置する天徳寺のご住職、大雲さんの大きなお計らいとお導きによってそれがなされた。
大雲さんは、「今は、女性性の時代であり、女性が次の扉を開く」とおっしゃりながら、自分自身が祈り人でありながらも、この旅ではサポーターに徹し、始終、私とシンガーソングライターのエンジェルクミちゃんを守り導いてくださった。本当にありがたかった。
稚内でお祈りをした後、私たちは礼文島に向かった。着いてすぐに、大雲さんが気になっている地蔵岩に向かった。そこは、ゲートのように大きく岩がそびえていた。
私は、ゲートとなっている岩と岩との間に導かれるように入って行った。
その瞬間、私は、正面から大きなエナジーに押され、そのまま勢いよく仰向けに倒された。それは、見えない大きな手で支えられながらゆっくりと倒れていく感覚だった。
倒れた所には、頭の下に枕、足の下に足台、腰の下には、身体を支えるための石が用意(?)されていた。まるで、私サイズの穴に、すっぽりとはまった感じだった。
ハートと子宮に手を置きなさいという声が心に響いた。
そこに手を置きながら、静かに仰向けになった。
・・
・・・あれっ?
お腹に光が入ってくる。
これって、受精?・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・
方や、私が転んだと同時に、エンジェルくみちゃんは、裸足でウニを踏んづけ、血を流し、ひゃ~!と悲鳴をあげていた。そのすぐ後に、彼女は、真っ白い流木を拾い上げた。よく見るとそれは白ひげを長くたなびかせた白龍そのものだった。
くみちゃんは、白龍とともに、私のそばに来て歌を歌った。
歌の光の粒子に包まれながら、私の中で心地よい完了というサインがきた。
ゆっくりと立ち上がり、空を見上げたら、太陽の光が岩と岩の真ん中からまっすぐに私たちに向かって降り注いでいた。真っ白い眩しい祝福の光だった。
その後、礼文島の最北端のスコトン岬を訪れた。
すごい突風が吹き荒れていた。
車の風上側のドアを数センチ空けると、風に押されて勢いよくバタンと閉まるほどだった。
まっすぐに立って歩くことさえままならないこの突風の中、断がい絶壁の崖っぷちに立たなくてはいけない衝動にかられた。
エンジェルくみちゃんの「やめて~、危ない~」という必死の声を背中で聞きながら、無心にそこに向かった。
私は、この数週間で、4キロから5キロ体重を増やした。
だから突風にも負けない安定感があった。
崖っぷちに立ち、海を隔てて目の前にある弁天島の灯台に、見えない糸で私の身体をしっかりとつなげだ。それから、勢いよく最北端から富士に向けて、黄金色の太陽の光と金龍を送った。
その翌日、北海道は、5月の観測史上初めての39.5度の気温となった。
私的には、日本列島が、北のゲートを開いて、太陽と金龍のエナジーを受け入れた証として受け止めた。
そこから少し離れた場所で、大雲さんが気になるといって急に車を止めた。そこには、大きな岩の上にバランスよく乗っかっている小さな岩があった。
私は、バランスロックと命名しながら、突風に向って力強く足を前に出して、岩山を登った。遠くで、エンジェルくみちゃんの「気をつけて~」という声が聞こえる。宇宙家族の愛だ。ありがたい。
バランスロックの岩の中腹で、祈ったとき、夏至の富士の祈りは曼荼羅になると来た。
全てはバランス。
上も下もない。一人一人が大切なお役目を持つ。祈り人も参加者もない。
みんなが同じ心でその場にいることが大切。みんながマンダラの真ん中で一つになり統合となる。光の柱となる。
私は、夏至の富士でのセレモニーがスタートしたとき、まずこのメッセージをみんなに告げた。
大雲さんご夫妻は、夏至の日、礼文島(女性性)と対になる利尻島(男性性)に登られ、そこから富士へ祈りとエナジーをつなげてくださった。
夏至は、富士で、そして、あらゆるところで、みんなの平和への祈りが一つになった日であった。
大雲さんが祈りの旅のショートムービーを作成しました。
ぜひご覧ください。
天徳寺での水子供養法事後に、祈りの塔を訪れた。
空に、精子雲が現れた。
そして地蔵岩のゲートで光がお腹に宿った。
<我ら無条件の愛の中で生きる宇宙家族たち>
つづく・・・。