皆さまのおかげ様を持ちまして、「The Return of The Ancestors」長老たちによる平和の祈りの集いが無事に終了しました。
たくさんのサポートをありがとうございました。
日本からは80名近い方が参加してくださり国際色豊かな実りある集いとなりました。
本当に濃い怒涛のような10日間でした。終わってからしばらくは普段の生活に戻ることができず、今、よやうく戻って来た感じです。
この祈りの集いは、マヤとホピの預言でも言われていたことの実現であり世界平和に向けての大切な祈りでした。
大切であれば大切であるほど、光が強ければ強いほど、それに反対する力も強いということを身にしみて経験しました。
それはこのイベントが始まる前から如実に現れていました。
反対勢力に対して同じように反対するのではなく、光の道を行く人たちは、光のやり方でそれに対応していました。
それを貫くのに一番大切なことは強い意思を持って「信じる」ことと、いつも「ポジティブに自分の中心に居続ける」ことでした。
反対勢力たちは、ブラックマジック(←ダイレクトにこの言葉を使わせてもらいます・・)を使って、精神的に不安定な子どもたちとエゴの強い大人たちをマインドコントロールという形で使ってきました。
使われた子供たちがかわいそうでした。
無意識のうちにすべてを破壊に導く方向へと動かされていました。
私たちはそれに対してしかることはできませんでした。
大きく受け止め、ハートから抱きしめることだけでした。
イベントの後半になるにつれ、一人ひとりの光が強まってくれば強まるほど反対しようとする闇はさらに強まってきました。
聖なる火を中心にして輪をつくり長老たちが順番にシェアしているとき、いきなり白人の男性がとりつかれたかのように政府の名を使って、あるネイティブの部族を攻撃してきました。
その部族の長老は下を向いて静かにそっと涙を流していました。同じタイミングのとき、日本人グループに向けて通訳をしている私に、「通訳がうるさい邪魔だ、みんなまとめてあっちに行け・・」というようなことを私のすぐ後ろにいた女性から強い口調で言われました。
その瞬間、私のハートはキューンって苦しくなって閉じそうになってしまったけれど、意識してハートの中心にいるように心がけました。
とにかく、その時のその場の空気は異様で、ドロドロした重たい空気に包みこまれてしまったかのようだった。
そのとき突然、このイベントのリーダー、ICA代表アダム・イエローバードが場の中心に現れ発言した。
「今、僕は、どうしようもない変なエネルギーに包まれ、身体全身が震えています。
まったく心地良くありません。
みなさん、今一度、母なる大地と繋がり、父なる空と繋がり、深呼吸をしてください。光をこの場に降ろしてください・・。」
アダムは自分の言葉でそのまんま感じることをシェアした。それはみんなのハートにまっすぐに届いた。その言葉でみんな我に帰った・・。
騒然としていた場の空気が一瞬にして静かになり、一人ひとりが中心に戻ることができ、再びその場に聖なる空気と光が戻ってきた。
アダムはいつも「ふわ~~」と柔らかい空気のまんまで、どこにいるのかいないのかわからないようなポジションを保っているが、いつもしっかりとその場の全体的なエネルギーを見守っている。
「さっすが、アダムっ!」と思った。
この祈りの集いは、セドナとホピの村で行われることになっていて、今回のイベントが、閉鎖的なホピの村が国際時にドアを開く最初の集いとなっていた。
だが賛成派と反対派の対立はこのイベントが始まってもなおも引き続いていた。
ホピでの開催予定日の数日前、ホピ族のルーベンがマイクを取り発言した。
まっすぐ前を向いて、真剣に正直に今のホピの状況を語った。
「ホピの村ではこの祈りの集いを催せなくなりました・・・ごめんなさい・・。
この集いはまさしくホピの預言にもとづいた大切なものであるのですが、ホピの中で強く反対している人たちがいてホピでは実現することができなくなりました。
実際、今のホピはとても病んでいます。アルコール中毒者、性的暴力者、やっかみ、ジェラシー、ブラックマジックの掛け合い・・。そういった今のホピの現状を健康的な方向へと導くきっかけとなったであろうこのイベントが恐れとエゴと権力を維持したい人たちによって反対されました。
まったく恥ずかしいことです。このホピの現状を多くの人に語ってください。これが今のホピなのです・・。」と、ルーベンは涙しながら、彼のハートから等身大の彼の言葉で語った。
会場はシーンとなった。
誰もがルーベンの言葉の中にいた。
私も泣いた・・・。
長老たちも参加者の多くも泣いていた・・・。
そして、みんなの心の中に「なるようになるさっ!大丈夫っ!」ていう、なんだか分からないけれど、ホピで行う予定になっている日を大きな心で迎える準備ができていった。
結局、ホピで行われることになっていた3日間はホピの村の近くのナバホの聖地で2日間、ヤバパイの聖地で1日行われることになった。
前日もしくは当日まで、どこでセレモにーが催されるのかわからない状態で、とにかく行き当たりばったりの、ただスピリットを信じてついて行くというまさしく字のごとく巡礼の旅となった。
それはセレモニー会場にたどりつける人のみがセレモニーに参加できるということだった。
私もそして同行していた日本人たちはそういう状況の中、どんな展開になっていくのだろう・・とワクワクしながら毎日を迎えていた。たくましい仲間たちだった。
・・・ 次に続く・・・