トルコとエジプトの旅から戻ってきて、3日目。
日本に戻ってきた日から、ずっとひどい下痢が続いている。
身体の中にたまったいらないものを出しているかのようだ。
薬を飲まずに出すものを出し切ろうと頑張ったが、体力がほとほとなくなってきてしまったので、ついに今日、薬をのんだ。
ふだん薬をのみなれていないからか、薬をのむことによって、
身体がだるく感じる。
今日はぼーとした一日を過ごした。
トルコとエジプトの旅は大成功だった。
参加者28名の一般のツアーで行った旅だったが、とても大切なところを訪れることができて、私なりに満足するワークをすることができた。
いつものごとく、まったく前知識を入れずに行ったが、トルコは、アジア大陸とヨーロッパ大陸の狭間にある国だった。
なぜここに来ることになっていたのか、納得ができた。
アトランティスとレムリアのエナジーがまさしくつながる場所であったのだ。
2ヶ月前に訪れたギリシャの旅の最後に、アナトリーという村に心惹かれて、
訪ねて行った。
そこが私にとって、次へのステップになる場所だと気がついていた。
そして訪れたトルコのほとんどの土地はアナトリア地方という名前になっていた。
中央アナトリア・東アナトリア・西アナトリア。
ギリシャのアナトリーととてもつながるものを感じる。
ギリシャの旅から、ずっとマリア様に導かれていたが、まさしくトルコもマリア様に導かれての旅となった。
西アナトリア地方のエフェッソス遺跡のそばに、キリストが磔になった後、マリア様が晩年まで隠れ住んでいた家がある。
マリア様のエナジーが行き渡っているからか、トルコ全体がとても女性的なエナジーになっている。
立ち並ぶ家々も、黄色みがかったピンクや緑の家が多くて、やさしい色合いの景色が広がる。
洗濯ものの干し方が、日本ととてもよく似ている。
村や街の空気もどこか日本と似ている。
なんだかこころ安らぐ国だ。
アジア側のトルコとヨーロッバ側のトルコの間に、ボスフォラス海峡がある。
エジプトから再びトルコに戻り、日本へ戻るその日に、海峡を船でクルーズした。
約1時間のクルーズ。
このクルーズで私のトルコとエジプトでのワークが完了となった。
川風が寒くて、参加者のほとんどが船室に入っていた。
私は、船の先端近くに立ち、風を感じながら必要なことがあれば、何か始まるであろうと静かにディクリース(チャンティング)をしながら待っていた。
ありがたいことに周りには人が居なかったので、自分に集中できた。
両の手の平をそれぞれ、アジア側とヨーロッバ側に向けて、手を大きく広げた。
そのとき、船がちょうど両岸の真ん中を走っていた。
私の身体を中心にして、両側のエナジーが行き交うのを感じた。
そして、両手をゆっくりとあげて、頭の上で重ねた。
そのとき、心が躍動した。
インディアンの遠吠えのような声が口から自然に発した。
体中が喜んだ。
手を上げ、飛び跳ねながら、何度もホーホーと吠えた。
一羽のカモネが、私の頭をすれすれにかすめて飛んできて、私の延ばしている左手の人差し指に触れてきた。
それからすぐに頭の上を数回旋回して、また私のすぐ頭の上をかすめて飛ぶ。
それを何度も繰り返してくる。
私は興奮状態で、カモメと一緒にホーホーと叫びながら、すてきな時間を過ごした。
カモメが旋回するその後ろには太陽が輝いていた。
このカモメは、スピリットからの使者だってすぐにわかった。
ありがたかった。
私なりにできることはやったんだなって思った。
とーてもすがすがしい気持ちになった。
船から降りたら、お昼の12時のアザン (コーランを読み上げるお坊さんの歌) が
港の近くにある、いくつかのモスクから一斉に流れてきた。
それぞれのモスクから流れるアザンが織物のように重なり合い、
港町に響き渡って行く・・。
すごいバイブレーションに包まれた。
私は、ビデオでずっと、街の様子とそのアザンの音を撮っていた。
数分間続いたアザンがピタっと止まった瞬間、カメラも止まった。
電源が入ったまま、ズームのカメラが飛び出たまま、うんともすんとも言わなくなった。
カメラはとても敏感で、強い磁場のところではときどきフリーズする。
このときも、完璧にフリーズしてしまった。
きっと、この磁場から離れたら元に戻るだろうなって思っていた。
昼食を食べるレストランに入った瞬間、急にカメラがまた作動して、飛び出たズームがギュイーンと元に戻り、電源が自然にOFFになった。
今、あのとき撮ったビデオを再生して見ても、鳥肌が立つぐらいに、すごいエナジーを感じる。
・・こんな感じでとてもすてきな旅となりました。
また追って、旅の詳細は書いていきたいと思います。
とりあえず、無事に帰国しましたのでご報告でーーす。
いつもありがとうございまーーす。
日本に戻ってきた日から、ずっとひどい下痢が続いている。
身体の中にたまったいらないものを出しているかのようだ。
薬を飲まずに出すものを出し切ろうと頑張ったが、体力がほとほとなくなってきてしまったので、ついに今日、薬をのんだ。
ふだん薬をのみなれていないからか、薬をのむことによって、
身体がだるく感じる。
今日はぼーとした一日を過ごした。
トルコとエジプトの旅は大成功だった。
参加者28名の一般のツアーで行った旅だったが、とても大切なところを訪れることができて、私なりに満足するワークをすることができた。
いつものごとく、まったく前知識を入れずに行ったが、トルコは、アジア大陸とヨーロッパ大陸の狭間にある国だった。
なぜここに来ることになっていたのか、納得ができた。
アトランティスとレムリアのエナジーがまさしくつながる場所であったのだ。
2ヶ月前に訪れたギリシャの旅の最後に、アナトリーという村に心惹かれて、
訪ねて行った。
そこが私にとって、次へのステップになる場所だと気がついていた。
そして訪れたトルコのほとんどの土地はアナトリア地方という名前になっていた。
中央アナトリア・東アナトリア・西アナトリア。
ギリシャのアナトリーととてもつながるものを感じる。
ギリシャの旅から、ずっとマリア様に導かれていたが、まさしくトルコもマリア様に導かれての旅となった。
西アナトリア地方のエフェッソス遺跡のそばに、キリストが磔になった後、マリア様が晩年まで隠れ住んでいた家がある。
マリア様のエナジーが行き渡っているからか、トルコ全体がとても女性的なエナジーになっている。
立ち並ぶ家々も、黄色みがかったピンクや緑の家が多くて、やさしい色合いの景色が広がる。
洗濯ものの干し方が、日本ととてもよく似ている。
村や街の空気もどこか日本と似ている。
なんだかこころ安らぐ国だ。
アジア側のトルコとヨーロッバ側のトルコの間に、ボスフォラス海峡がある。
エジプトから再びトルコに戻り、日本へ戻るその日に、海峡を船でクルーズした。
約1時間のクルーズ。
このクルーズで私のトルコとエジプトでのワークが完了となった。
川風が寒くて、参加者のほとんどが船室に入っていた。
私は、船の先端近くに立ち、風を感じながら必要なことがあれば、何か始まるであろうと静かにディクリース(チャンティング)をしながら待っていた。
ありがたいことに周りには人が居なかったので、自分に集中できた。
両の手の平をそれぞれ、アジア側とヨーロッバ側に向けて、手を大きく広げた。
そのとき、船がちょうど両岸の真ん中を走っていた。
私の身体を中心にして、両側のエナジーが行き交うのを感じた。
そして、両手をゆっくりとあげて、頭の上で重ねた。
そのとき、心が躍動した。
インディアンの遠吠えのような声が口から自然に発した。
体中が喜んだ。
手を上げ、飛び跳ねながら、何度もホーホーと吠えた。
一羽のカモネが、私の頭をすれすれにかすめて飛んできて、私の延ばしている左手の人差し指に触れてきた。
それからすぐに頭の上を数回旋回して、また私のすぐ頭の上をかすめて飛ぶ。
それを何度も繰り返してくる。
私は興奮状態で、カモメと一緒にホーホーと叫びながら、すてきな時間を過ごした。
カモメが旋回するその後ろには太陽が輝いていた。
このカモメは、スピリットからの使者だってすぐにわかった。
ありがたかった。
私なりにできることはやったんだなって思った。
とーてもすがすがしい気持ちになった。
船から降りたら、お昼の12時のアザン (コーランを読み上げるお坊さんの歌) が
港の近くにある、いくつかのモスクから一斉に流れてきた。
それぞれのモスクから流れるアザンが織物のように重なり合い、
港町に響き渡って行く・・。
すごいバイブレーションに包まれた。
私は、ビデオでずっと、街の様子とそのアザンの音を撮っていた。
数分間続いたアザンがピタっと止まった瞬間、カメラも止まった。
電源が入ったまま、ズームのカメラが飛び出たまま、うんともすんとも言わなくなった。
カメラはとても敏感で、強い磁場のところではときどきフリーズする。
このときも、完璧にフリーズしてしまった。
きっと、この磁場から離れたら元に戻るだろうなって思っていた。
昼食を食べるレストランに入った瞬間、急にカメラがまた作動して、飛び出たズームがギュイーンと元に戻り、電源が自然にOFFになった。
今、あのとき撮ったビデオを再生して見ても、鳥肌が立つぐらいに、すごいエナジーを感じる。
・・こんな感じでとてもすてきな旅となりました。
また追って、旅の詳細は書いていきたいと思います。
とりあえず、無事に帰国しましたのでご報告でーーす。
いつもありがとうございまーーす。