コロンビアの原住民、コギ族とアルワコ族のマモ(高僧)たちと、ホピの村に向かった。
マモたちを乗せた車は、アダム・イエロー・バードが運転するスクールバス(昔使われていたもの)。黄色かった車体は塗り替えられているけれど、やっぱりどう見てもまだスクールバスだ(笑)。
朝、ハイウエイの入り口のところで待ち合わせをした。
「あと1マイルで、Iruたちが待っている入り口を通過するよー!」と、 アダムから携帯に連絡が入った。
1マイル分の時間を計算して、ハイウェイに入ったら、左からマモスを乗せたスクールバスがやってきた。グッドタイミング!!
そのまま車を連ねて、ドライブした。
途中のナバホ族の居留区に入ったところで、バックミラーを見たら、後ろを走っていたはずのスクールバスが見当たらない。
おかしいなぁ・・・。
しばらく待っていてもやってこないので、戻ってみたら、ある山の手前でバスを停めて、儀式をしていた。
どうやら、その場所は、ホピの村へのポータルらしい。
そして、最近、その山の中からピラミッドが発見されたとのこと。
たまたま、山を削っていた人が、頂上から50フィート下に白いピラミッドを発見したらしい。
最初は写真が出回っていたが、ある時から、政府の中でシークレット扱いとなり禁句となった。だから、ここで書いているのも、オフレコということでよろしくです(笑)
後から合流した私たちもそこでタバコの葉っぱを撒いて、ポータルの中に入る許可を求めた。
ホピの村まであと1時間のところにあるガソリンスタンドでトイレ休憩をした。
そこでガソリンを入れているナパホ族の男性が、コロンビアのマモたちを見て話しかけて来た。
「今、ちょうどこのガソリンスタンドの横のナバホ政府の集会所で、ホピ族とナバホ族の土地の水が、鉱山会社によって大量に使われている事に対する問題を話し合っているから、ぜひ、そこに行って欲しい・・。」と言う。
コロンビアの土地も鉱山会社によって破壊されていて、ダムによる水問題もある。
原住民同士の共通する問題でもあるとのことで、急遽、その集会に顔を出すことなった。
この日、ホピの村でも、ギャザリングが用意されていて、みんながマモたちの到着を待っている。この時点でもすでに遅刻をしているわけだから、私は時間的にちょっと心配になった。
ホピのルーベンに電話をして、この事情を説明をしたら、「ホピの村でもみんな待っているんだから、数分だけ話してすぐにホピに向かってほしーー!!」と言われた。
ネイティブタイムは、現代の時間の流れと違うから、時々私は、日本からやってきた人たちとネイティブとの間に入って、ドギマギする。
この日は、ネイティブの間に入って、ドギマギした。
普通、ホピもホピタイムで、かなりその場の流れ主義なのだが、やはりマモたちがやってくるということで、みんなはりきって早くから待っているようだった。
この日の私は、なぜだかタイムキーパー役になり、「早く切り上げるようにー!!」と目線とテレパシーをアダムとマモたちに送り続けた。
成功した・・。
5分くらいで、みんな会場を後にした・・。
ほっ!・・ とした。
そこからは、ホピの村の集会所までまっすぐに向かった。
1時間ちょっとの遅刻だった。
ホピタイムの中では、時間どおりってとこかなっていう感じで、みんな普通に待っていた・・・。
ルーベンが、ホピの村からの参加者の一人一人を名前とクラン(家の紋章)と一緒に紹介した。
最後に、私の方に向かって、「僕の友人でもあり、ドルフィンクランのIruです。」と私のことを紹介した。
びっくりして、嬉しかった。
ホピに新しくドルフィンクランができてしまった(笑)
まだ私だけだけど、将来、増えたら嬉しいな・・。うふふ・・。
マモたちは、3日間のセドナでのギャザリングの後だったが、疲れた様子も見せずに、セドナのときと同じように彼らの英知をシェアした。
シェアが終わったとき、一人のホピの女性が立ち上がって感想を述べた。
「本来のホピの教えは、コロンビアの原住民の人々と同じです。自然と共に、自然のエレメントと調和をして、シンプルに生きる・・。
だけれど、現状のホピは、その自然の英知から外れてしまった。
アルコール中毒、性虐待、ジェラシー、暴力・・。
今、私たちはもう一度原点に戻るときに来ている。
こうして、クリエーターからの英知をそのままに生きているあなたがたの姿を拝見できて、話を聞けたことは、私たちにとっての励みであり、気づきになりました。
ありがとうございます・・・。」と涙とともに語っていた。
ホピの居留区は現代社会と密接につながっている。
創造主マサウの教えを貫きたいが、現代のあふれる情報と誘惑と、ご先祖さまからの英知との間で、いろいろと難しいのであろう・・。
マモたちによるシェアが一段落したところで、昼食となった。
ルーベンの奥さんや娘や友人たちが、マモスと参加者全員のランチをつくってくださっていた。
ひき肉とジャイアントコーンのスープと、ホピブレッドと、スパゲティーとプロッコリーのゆでたもの。デザートはスイカ。
味のバランスがよくてハートがあったまるおいしさだった。
ホピの村でのカチーナダンスの祭りのときも、それぞれの家でごちそうが提供される。
それが、ホピスタイル。訪ねて来た人たちを食事でもてなす。
カチーナダンスの祭りに行くと、いろいろな家でランチを食べ、結局何度もいいただくことになる。
ランチの後、再びマモたちの話となった。
集会が終わった後、マモたちと、私たち数人で、予言の岩に向かった。
岩の前で、予言の岩の説明を聞き、そのあと、オライビ村を訪ねた。
夜もかなりふけたところで、ルーベンの家に戻り夕食をいただいた。
その夜、ホピの村に一件だけあるモーテルに宿泊した。
部屋に入った瞬間、ベットに倒れ込み、爆睡した・・。
つづく・・。
マモたちを乗せた車は、アダム・イエロー・バードが運転するスクールバス(昔使われていたもの)。黄色かった車体は塗り替えられているけれど、やっぱりどう見てもまだスクールバスだ(笑)。
朝、ハイウエイの入り口のところで待ち合わせをした。
「あと1マイルで、Iruたちが待っている入り口を通過するよー!」と、 アダムから携帯に連絡が入った。
1マイル分の時間を計算して、ハイウェイに入ったら、左からマモスを乗せたスクールバスがやってきた。グッドタイミング!!
そのまま車を連ねて、ドライブした。
途中のナバホ族の居留区に入ったところで、バックミラーを見たら、後ろを走っていたはずのスクールバスが見当たらない。
おかしいなぁ・・・。
しばらく待っていてもやってこないので、戻ってみたら、ある山の手前でバスを停めて、儀式をしていた。
どうやら、その場所は、ホピの村へのポータルらしい。
そして、最近、その山の中からピラミッドが発見されたとのこと。
たまたま、山を削っていた人が、頂上から50フィート下に白いピラミッドを発見したらしい。
最初は写真が出回っていたが、ある時から、政府の中でシークレット扱いとなり禁句となった。だから、ここで書いているのも、オフレコということでよろしくです(笑)
後から合流した私たちもそこでタバコの葉っぱを撒いて、ポータルの中に入る許可を求めた。
ホピの村まであと1時間のところにあるガソリンスタンドでトイレ休憩をした。
そこでガソリンを入れているナパホ族の男性が、コロンビアのマモたちを見て話しかけて来た。
「今、ちょうどこのガソリンスタンドの横のナバホ政府の集会所で、ホピ族とナバホ族の土地の水が、鉱山会社によって大量に使われている事に対する問題を話し合っているから、ぜひ、そこに行って欲しい・・。」と言う。
コロンビアの土地も鉱山会社によって破壊されていて、ダムによる水問題もある。
原住民同士の共通する問題でもあるとのことで、急遽、その集会に顔を出すことなった。
この日、ホピの村でも、ギャザリングが用意されていて、みんながマモたちの到着を待っている。この時点でもすでに遅刻をしているわけだから、私は時間的にちょっと心配になった。
ホピのルーベンに電話をして、この事情を説明をしたら、「ホピの村でもみんな待っているんだから、数分だけ話してすぐにホピに向かってほしーー!!」と言われた。
ネイティブタイムは、現代の時間の流れと違うから、時々私は、日本からやってきた人たちとネイティブとの間に入って、ドギマギする。
この日は、ネイティブの間に入って、ドギマギした。
普通、ホピもホピタイムで、かなりその場の流れ主義なのだが、やはりマモたちがやってくるということで、みんなはりきって早くから待っているようだった。
この日の私は、なぜだかタイムキーパー役になり、「早く切り上げるようにー!!」と目線とテレパシーをアダムとマモたちに送り続けた。
成功した・・。
5分くらいで、みんな会場を後にした・・。
ほっ!・・ とした。
そこからは、ホピの村の集会所までまっすぐに向かった。
1時間ちょっとの遅刻だった。
ホピタイムの中では、時間どおりってとこかなっていう感じで、みんな普通に待っていた・・・。
ルーベンが、ホピの村からの参加者の一人一人を名前とクラン(家の紋章)と一緒に紹介した。
最後に、私の方に向かって、「僕の友人でもあり、ドルフィンクランのIruです。」と私のことを紹介した。
びっくりして、嬉しかった。
ホピに新しくドルフィンクランができてしまった(笑)
まだ私だけだけど、将来、増えたら嬉しいな・・。うふふ・・。
マモたちは、3日間のセドナでのギャザリングの後だったが、疲れた様子も見せずに、セドナのときと同じように彼らの英知をシェアした。
シェアが終わったとき、一人のホピの女性が立ち上がって感想を述べた。
「本来のホピの教えは、コロンビアの原住民の人々と同じです。自然と共に、自然のエレメントと調和をして、シンプルに生きる・・。
だけれど、現状のホピは、その自然の英知から外れてしまった。
アルコール中毒、性虐待、ジェラシー、暴力・・。
今、私たちはもう一度原点に戻るときに来ている。
こうして、クリエーターからの英知をそのままに生きているあなたがたの姿を拝見できて、話を聞けたことは、私たちにとっての励みであり、気づきになりました。
ありがとうございます・・・。」と涙とともに語っていた。
ホピの居留区は現代社会と密接につながっている。
創造主マサウの教えを貫きたいが、現代のあふれる情報と誘惑と、ご先祖さまからの英知との間で、いろいろと難しいのであろう・・。
マモたちによるシェアが一段落したところで、昼食となった。
ルーベンの奥さんや娘や友人たちが、マモスと参加者全員のランチをつくってくださっていた。
ひき肉とジャイアントコーンのスープと、ホピブレッドと、スパゲティーとプロッコリーのゆでたもの。デザートはスイカ。
味のバランスがよくてハートがあったまるおいしさだった。
ホピの村でのカチーナダンスの祭りのときも、それぞれの家でごちそうが提供される。
それが、ホピスタイル。訪ねて来た人たちを食事でもてなす。
カチーナダンスの祭りに行くと、いろいろな家でランチを食べ、結局何度もいいただくことになる。
ランチの後、再びマモたちの話となった。
集会が終わった後、マモたちと、私たち数人で、予言の岩に向かった。
岩の前で、予言の岩の説明を聞き、そのあと、オライビ村を訪ねた。
夜もかなりふけたところで、ルーベンの家に戻り夕食をいただいた。
その夜、ホピの村に一件だけあるモーテルに宿泊した。
部屋に入った瞬間、ベットに倒れ込み、爆睡した・・。
つづく・・。