トルコのタクシーの運転手は、常に、どうやったら、お客から余分なお金を徴収しようかと考えているように見える。遠回りをしたり、有料道路を何度も通ったり・・、あまりにも、あからさまだから、やるな~と感心してしまうくらいだ。
私達は、タクシーで、モザイク画で有名なカーリエ博物館へ行った。
例のごとく、運転手は、博物館の周りをぐるぐると走って、裏道に止めた。
料金は、60リラ (約2400円) だった。
50リラ1枚と、5リラを2枚で支払ったら、運転手は、手品のように50リラを床に落として、5リラにすり変え、5リラ3枚では足りない、ちゃんと支払えと言い張る。
支払いを、たまちゃんに任せて、私たちはすでにタクシーを降りていたから、他に承認がいない。たまちゃんは、悔し~いと言いながら、さらに50リラを渡すしかなかった。
私たちは、これからは、支払いが済むまでは、全員タクシーに乗ったままで、しっかりと見届けることにした。
そんなこんなで、私たちは、ようやくカーリエ博物館着いた。
中に入ろうとしたら、突然、 警備員から「入ってはいけないっ!」と、止められた。
えっ、え~!
そういえば、見渡しても誰も歩いている人がいない・・。
そして、目の前には、黒のアメ車(シボレー)のバンが2台、ものものしく止まっている。
ちょうど、今、アメリカの副大統領の奥様が、博物館を見学後、そこからすぐそばにある本屋さんで用事を済ませているから、奥様がここを去るまで、何人たりとも、ここに入ることはできないという。
どれくらい待つの?と聞いても、警備員さんは、わからないという。
それはそうだ・・。
仕方がない・・。
博物館のまん前にあるカフェでお茶をして、時間を過ごすことにした。
カフェの中は、意外と混んでいた。
そして、緊張感に満ちていた。
そこにいたほとんどの人が、私服SPだった。耳にはイヤホンをしている。
どうせなら、ことの成り行きをよく見たい私達は、窓際のテーブルについた。
あ~、この感覚、あの時と似ている・・。
大海原で、たくさんの野生のイルカに囲まれている時、彼らが電波みたいなソナーを出して、私をチェックしているあの感覚。
彼らは、こちら側を一切見ずに、私達をチェックしている。
私たちは、SPたちのど真ん中に席を取った怪しい外国人グループなのだ。
私は、この普通ではない景色を写真に収めようと、バッグの中の携帯を取りだした。
そのとき、隣のテーブルのSPが横目で、私の手元をすかさずチェックしていた。
あ~!おかしい、この緊張感!もう楽しむしかない。
私達は、滅多に味わえないこの非日常空間を十分にエンジョイした。
イスタンブール広しといえ、このタイミングで副大統領夫人がいらしている場所に出くわすのも面白い。
バルセロナでのギャザリングの最終日、バルセロナとニュージーランドを結ぶ線が弓矢の弦となり、日本が矢じりとなって、南西から東北に向かって、矢が放てれいくセレモニーを行った。
それは、地球と人類をアセンションへと導く流れであり、放たれた矢がまず向かうところは、北米のアラスカだった。
日本人の私たちが、カーリエ博物館の前のカフェで、アメリカ人のSPたちと、理由は違えど、副大統領夫人が外に出ていらっしゃるのを待っているのが、何か大きなお計いのような気がした。
私がアメリカに帰るよりも早く、アメリカにエナジーのバトンタッチをしている気がした。
奥様が本屋から出る数分前から、わさわさとSPたちが動き出した。いかにも観光客を装っている私服SP二人が、私たちが見ている窓の外に立ち、奥様が出てくる方角と私たちを立ち塞いだ。
あ~あ。あまり見えなくなっちゃった。
まっ!しょうがない、それが彼らのお仕事だし。
緊張間の中、イヤホンでやりとりをしている彼らたち。まるで映画の中だ。
しばらくしたら、ブロンズの女性が通り抜けて行くのが見えた。奥様だ。
すべてが終わった後、足止めされていた一般人たちがドヤドヤと博物館目指してやってきた。
そうだったんだ~!
タクシーの運転手が裏道に止めたから、私たちはここまで、入りこめてしまったのだった。
なんだか、運転手に感謝かもしれないと思った(苦笑)
ようやく、私たちは、カーリエ博物館のとても細かいモザイク画を堪能できたのであった。
その後、私たちは、エジプシャンバザールに向かい、干しイチジクや、ピスタチオを買った。
バザールを出て、横断歩道を渡ろうとしたら、急に、警備員に止められた。
えっ! え~!
今、副大統領の車が通り抜けるから待ちなさいと言う。
しばらくしたら、厳重な護衛に導かれ、黒塗りのアメ車のバンが数台通り抜けて行った。今度は、ご主人様の方ですか~。
バザールを出るタイミングが30秒でも早かったら、足止めされずに、横断歩道を渡り、副大統領が通りぬけたことさえ知る由も無い。
カーリエ博物館からここは、車でもかなり離れている距離。
こうして、数秒の誤差もなく出くわされることに、何らかの大きな計らいを感じぜずにはいられなかった。