春分の日、生贄の儀式の後、Aramu Muru’s Doorway という、異次元への扉といわれている不思議な岩のところの前で地球を活性化する儀式を執り行った。
セージとインカのお香で身を清め、パイプセレモニーをして、歌い、祈りを捧げ、そして、ホピ族のルーベンがイーグルダンスを披露した。
イーグルの衣装に身を包んだルーベンは、標高、約4000メートルという空気が薄いところで、途中で呼吸困難になりそうな気配を見せながらも、見事に踊りとおした。 とても感激した。
その後、インカの長老がコンドルの大きな羽をルーベンに捧げ、強く抱擁しあった。
目の前で、イーグルとコンドルが溶け合った。
イーグルは、北アメリカの象徴。
コンドルは、南アメリカの象徴。
その後、みんなの口から雄たけびがおこった。
そして、全員が母なる大地にひざまずき、大地と抱擁した。
ものすごい一体感・・。
全てがひとつになっていく・・。
こうして、春分の日の世界平和、そして世界統合の祈りが行われた。
その後、この異次元の扉といわれる岩にすっぽりと身を預け
た。
第三の目を岩につけた瞬間、そこに確かに異次元が広がった。
物理的には、おでこを岩につけているのに、その感じはまったくしなくて、おでこから、ぱかーと広い空間に向かって広がっている感じがした。
爽やか極まりないって感じ・・。
この感覚、かなりヤバイ。何時間でもそうしていられそう・・・。いろいろなビジョンもやってくる感じがする。
と、しばらくその場に浸っていたかったが、私の後ろにも、この感覚を味わうための長い列ができていることを思い出し、後ろ髪を引かれながら、そこを後にした。
そこは、石の採掘場にもなっていて、そこで採れた石を子供たちが観光客に販売している。
私は、白と黒のセレナイトを購入した。
翌日の22日はチチカカ湖の畔のホテルの中で、それぞれのシェアリングが行われ、このイベントの前半の閉めのセレモニーをおこなった。
そして、23日からは、クスコに移動して、毎日、長老たちと聖地めぐりとセレモニー三昧をした。
28日の最終日まで、贅沢・・贅沢・・・ありがたや・・の日々が続いた。
最後は、マチュビチュでの祈りのイベント。
民族衣装にそれぞれ身を包んだ長老たちは、マチュピチュの入り口で警備の人に、立ち入り禁止を受けた。
どうやら、マチュピチュの遺跡の中では、大掛かりな儀式をしてはいけないことになっているらしい。
世界的な観光スポットなので、儀式をすることにより、観光客の足の流れを止めてしまい、観光の邪魔になると警備の人は主張する。
そして、アパッチ族の長老が持っている長い旗を指さして、凶器になると言う。
はぁ・・?
傍らで聞いていて、あまりにも形式的な警備の人の物言いがおかしくなってくる。
このイベントの現地のリーダー・ホヘがスペイン語で警備の人とやり取りしている間、長老たちは、あくまでも誠実に静かにその場に座っていた。
いかめしい警備の人の顔から、少しづつ柔らかな表情が見え隠れしてきた・・。
やった・・もう少し・・。
そして、ついに、長老たちの入場が許可された。
ホヘが先頭を切って前に進み、その後に続いて、長老たちは、目を瞑り手と手をつないで並んで、一歩、一歩、横歩きをしながら進んで行く。
私も、かなり長い間一緒に手をつなぎ目をつぶって歩いた。
あるところに着いたら、ホヘが、「自分の中でここのエネルギーと溶け合う感じが起きたら目を開けてください」と言った。
溶け合ったと感じたとき、目を開けた。
目の前の眼下には、あのマチュピチュの遺跡が広がっていた。
か・・感激・・・。
そして、その場で、また長老たちによる祈りのセレモニーが行われた。
ときどき、雨が心地よく降り注いだ。
マチュピチュ・・天に近い街。
こんなに天に近いところで、暮らしていた人々の意識状態ってどんなだったんだろう・・。
完璧にはまった・・この地に。
セドナも好きだけれど、この地もかなり気に入った。
絶対にまた来ると思った。
3月28日、2週間に渡って一緒に過ごしてきた、長老たちや参加者たちがそれぞれの岐路についていく。
どうしようもない、空虚感が私を襲う・・・。
あ~~、こんなにもみんなは、私にとって近い存在になっていたんだ・・。
飛行場へ向かう私たち・・色とりどりの民族衣装に花笠音頭の花笠や、イーグルの羽が頭や服でヒラヒラなびいたりしている、ましてや、塗料で色分けされた顔もいる・・。
一人、一人がまったく違う個性をかもし出しているが、全体的にすごい調和のエネルギーが行き渡っている。あちらこちらで絶え間なく笑い声がわいている。春爛漫。
春分の日にまたがってのこの世界平和の祈り・・すばらしい祈りのイベントとなりました。
この間、世界中で、平和への意識を持った人々たちによる祈りがあちらこちらで行われていました。
日本からもたくさんの人が賛同してくださいました。
たしかに、そのエネルギーはペルーへと届いていました。
ありがとうございます。
なぜ、今回、ペルーのチチカカ湖が祈りの場所に選ばれたのか・・。
その一つに、3月21日、チチカカ湖においては、夜7時7分、に春分となりました。
このことからもこの地が選ばれた理由です。
たしかに、「7」いう数字・・今回、いろいろとキーポイントとなっていました。
毎日、朝起きては、祈りのセレモニーをして、聖地をハイキングして、そこでも祈り、そして宿にもどってからも寝るまで、祈りのイベントをするという生活から、また、通常の生活に戻ってきました。
この2週間は、かけがえのない、私のスピリチュアルジャーニーとなりました。
ときどき、また、あの空間に戻りたい衝動にかられます・・。
素敵な旅を経験できたことに感謝です。
そして、
2007年の春分の日を境に、世界がすばらしい方向へと向かいだしました。
心からありがとうございます。
ここまで、お付き合いいただいて読んでくださったことに感謝いたします。
ありがとうございます。
セージとインカのお香で身を清め、パイプセレモニーをして、歌い、祈りを捧げ、そして、ホピ族のルーベンがイーグルダンスを披露した。
イーグルの衣装に身を包んだルーベンは、標高、約4000メートルという空気が薄いところで、途中で呼吸困難になりそうな気配を見せながらも、見事に踊りとおした。 とても感激した。
その後、インカの長老がコンドルの大きな羽をルーベンに捧げ、強く抱擁しあった。
目の前で、イーグルとコンドルが溶け合った。
イーグルは、北アメリカの象徴。
コンドルは、南アメリカの象徴。
その後、みんなの口から雄たけびがおこった。
そして、全員が母なる大地にひざまずき、大地と抱擁した。
ものすごい一体感・・。
全てがひとつになっていく・・。
こうして、春分の日の世界平和、そして世界統合の祈りが行われた。
その後、この異次元の扉といわれる岩にすっぽりと身を預け
た。
第三の目を岩につけた瞬間、そこに確かに異次元が広がった。
物理的には、おでこを岩につけているのに、その感じはまったくしなくて、おでこから、ぱかーと広い空間に向かって広がっている感じがした。
爽やか極まりないって感じ・・。
この感覚、かなりヤバイ。何時間でもそうしていられそう・・・。いろいろなビジョンもやってくる感じがする。
と、しばらくその場に浸っていたかったが、私の後ろにも、この感覚を味わうための長い列ができていることを思い出し、後ろ髪を引かれながら、そこを後にした。
そこは、石の採掘場にもなっていて、そこで採れた石を子供たちが観光客に販売している。
私は、白と黒のセレナイトを購入した。
翌日の22日はチチカカ湖の畔のホテルの中で、それぞれのシェアリングが行われ、このイベントの前半の閉めのセレモニーをおこなった。
そして、23日からは、クスコに移動して、毎日、長老たちと聖地めぐりとセレモニー三昧をした。
28日の最終日まで、贅沢・・贅沢・・・ありがたや・・の日々が続いた。
最後は、マチュビチュでの祈りのイベント。
民族衣装にそれぞれ身を包んだ長老たちは、マチュピチュの入り口で警備の人に、立ち入り禁止を受けた。
どうやら、マチュピチュの遺跡の中では、大掛かりな儀式をしてはいけないことになっているらしい。
世界的な観光スポットなので、儀式をすることにより、観光客の足の流れを止めてしまい、観光の邪魔になると警備の人は主張する。
そして、アパッチ族の長老が持っている長い旗を指さして、凶器になると言う。
はぁ・・?
傍らで聞いていて、あまりにも形式的な警備の人の物言いがおかしくなってくる。
このイベントの現地のリーダー・ホヘがスペイン語で警備の人とやり取りしている間、長老たちは、あくまでも誠実に静かにその場に座っていた。
いかめしい警備の人の顔から、少しづつ柔らかな表情が見え隠れしてきた・・。
やった・・もう少し・・。
そして、ついに、長老たちの入場が許可された。
ホヘが先頭を切って前に進み、その後に続いて、長老たちは、目を瞑り手と手をつないで並んで、一歩、一歩、横歩きをしながら進んで行く。
私も、かなり長い間一緒に手をつなぎ目をつぶって歩いた。
あるところに着いたら、ホヘが、「自分の中でここのエネルギーと溶け合う感じが起きたら目を開けてください」と言った。
溶け合ったと感じたとき、目を開けた。
目の前の眼下には、あのマチュピチュの遺跡が広がっていた。
か・・感激・・・。
そして、その場で、また長老たちによる祈りのセレモニーが行われた。
ときどき、雨が心地よく降り注いだ。
マチュピチュ・・天に近い街。
こんなに天に近いところで、暮らしていた人々の意識状態ってどんなだったんだろう・・。
完璧にはまった・・この地に。
セドナも好きだけれど、この地もかなり気に入った。
絶対にまた来ると思った。
3月28日、2週間に渡って一緒に過ごしてきた、長老たちや参加者たちがそれぞれの岐路についていく。
どうしようもない、空虚感が私を襲う・・・。
あ~~、こんなにもみんなは、私にとって近い存在になっていたんだ・・。
飛行場へ向かう私たち・・色とりどりの民族衣装に花笠音頭の花笠や、イーグルの羽が頭や服でヒラヒラなびいたりしている、ましてや、塗料で色分けされた顔もいる・・。
一人、一人がまったく違う個性をかもし出しているが、全体的にすごい調和のエネルギーが行き渡っている。あちらこちらで絶え間なく笑い声がわいている。春爛漫。
春分の日にまたがってのこの世界平和の祈り・・すばらしい祈りのイベントとなりました。
この間、世界中で、平和への意識を持った人々たちによる祈りがあちらこちらで行われていました。
日本からもたくさんの人が賛同してくださいました。
たしかに、そのエネルギーはペルーへと届いていました。
ありがとうございます。
なぜ、今回、ペルーのチチカカ湖が祈りの場所に選ばれたのか・・。
その一つに、3月21日、チチカカ湖においては、夜7時7分、に春分となりました。
このことからもこの地が選ばれた理由です。
たしかに、「7」いう数字・・今回、いろいろとキーポイントとなっていました。
毎日、朝起きては、祈りのセレモニーをして、聖地をハイキングして、そこでも祈り、そして宿にもどってからも寝るまで、祈りのイベントをするという生活から、また、通常の生活に戻ってきました。
この2週間は、かけがえのない、私のスピリチュアルジャーニーとなりました。
ときどき、また、あの空間に戻りたい衝動にかられます・・。
素敵な旅を経験できたことに感謝です。
そして、
2007年の春分の日を境に、世界がすばらしい方向へと向かいだしました。
心からありがとうございます。
ここまで、お付き合いいただいて読んでくださったことに感謝いたします。
ありがとうございます。