ギャザリング二日目。
ガテマラ・マヤのシャーマン、クリストバルによる日の出の火の儀式から始まった。
前日の夜から、私は、クリストバルと一緒に、このセレモニーのための火をおこす準備のセレモニーをしていた。
捧げものをまるく並べ、明日の祈りがスムースにいきますようにと祈りを捧げる。
クリストバルとアダムとアハアコ族の女性二人と若い男性と私の6人でそのセレモニーを行った。
シャーマンが宿泊しているテンプルの中央でその儀式を行った。
私たちの後ろで寝ているシャーマンたちもいた。
すべてがあるまま、セレモニーをする人もいれば、寝てエネルギー体で参加する人もあれば、人それぞれ。
そこには、何も形式ばった形がないから、とてもラクチンですてきだ。
シャーマン・マモたちが儀式を行い続けているテンプル。
宇宙とまっすぐにエナジーがつながる。
セレモニーが進むうちに意識がもうろうとしてくる。
いろいろなビジョンが交差する。
自分とまわりの区別がわからなくなる。
母なる大地につつまれ、父なる大きな空に見守られている、絶対的なる安心感の中で、自分の祈りが大地を伝って広がり、日本まで届き、それが全地球に広がっていくのを感じて行く。
その儀式が終わったとき、深く入り過ぎて、飛びすぎていて、私はなかなか戻ってこれなかった。
まるで泥酔したかのように、フラフラとそのままの状態で寝袋にもぐりこんだ。
翌朝、すっごーーい絶好調でこの日の出の儀式を迎えた。
大地にまるくたくさんの捧げものを並べ、そして昨日、起した火をそこにともして、セレモニーがおこなわれた。
今回の儀式やギャザリング中での撮影は禁止となった。
撮影をするかどうかをマモたちが話し合っていたが、結局禁止となった。
原住民たちにとって、この撮影というものがいつも問題として取り上げられる。
撮影されたものが、ビジネス上に乗っかり、お金というものが発生することが多々あるが、それが原住民たちに還元されることがあまりないからということもあるし、エナジー的な問題でもあったりする。
サンフランシスコから撮影隊もやってきていたが、撮れないということで、彼らもあきらめるしかなかった。
午後からは、マモたちによる会議になった。
一日、3回、おいしいご飯が提供される。
原住民たち用の食事と参加者用は違うメニューだ。
参加者用はベジタリアン用と、普通の食事の2種類が作られている。
お米と豆と野菜がメインの日本人の口にとてもあう食事だ。
まず最初は、現地の人々が食べる。
各家庭の名前を呼ぶ声がキッチンから聞こえる。
その声を聞いて、白い上下の民族衣装を着たファミリーが次から次へとキッチンに入れ替わり立ち代わり入って行く。
そのあと、一般の参加者たちの食事となる。
ギャザリングが始まってまだ間もないので、参加者と原住民たちの間にはまだ距離がある感じ。
彼らは現地語を話す。スペイン語を話す人たちもいるがそんなには多くない。
ましてや、英語となるとほとんどいない。
食事を待つ間も、現地の人たちの群れと私たちの群れとに見えない境界線のようなものがあった。
お互いにその境界線を意識しながら、少しづつ、近寄っていく私たちがいた。