夏至の富士山での祈りの後、私の頭の中は、空洞みたいになっている。
未来のことや過去のことを考えようとしても、脳みそのどこにも引っかからない。
それよりも、空に浮かぶ雲や、木の葉を揺らすそよ風や、山々の稜線から、光の粒子と音楽に似たゆらぎと共にメッセージがハートにダイレクトに届いてくる。
今はまだ、それを脳みそを使って言語化する通路ができていない。
それは、新しい通路。
今まで使っていた通路は、もう使えないことがわかる。
これは、アセンションゲートが開いた影響なのだろうか?
富士での祈りの最後に、頭を貫く光とエナジーをクラウンチャクラから受けたからだろうか?
あの時は、頭が割れるかと思った。気絶するほどだった。水をかけて~と思わず叫び、そばにいた人にかけてもらったのを覚えている。
痛みの中で、意識を保つために、隣にいた、テ・ポロハウ長老の足に必死でしがみついたのも覚えている。
その痛みの後、私のクラウンチャクラは、ゆで卵をのせているかのように盛り上がっている。
今年の3月、アセンディッドマスター のエルモリアから、世界の長老を集めて富士で祈りなさいと、あれほど強いメッセージを受けたことでさえ、なんだか、遠いことのように思える。
「今」にしかいられない。
富士での祈りの発起人として、イベントの後、祈りに参加してくださった方々や、遠隔で祈りをサポートしてくださった方々に向けて、すぐに報告を・・と思ったのだが、高次元の存在からストップがかかった。
全てのプロセスを終えるまで、言葉にしてはならないと・・・。
プロセスの途中で言葉にすると、それは、私というエゴの部分で表現することになり、本来の大きなメッセージを伝えることができなくなると・・。
私は、この10年間、夜寝ている時に叫びながら起き上がることが度々ある。
地球のことで、人類のことで、とても大切なことで、私が何かをし忘れてしまったために起きたことに対する恐怖の叫び。
自分の声で目が覚めるが、自分が現在の自分と自覚するまでは、その世界を数分間さまようことになる。壮絶なるハートの苦しみ。
しっかりと目が覚めると、全てが記憶から消え失せ、心臓のバクバクという音だけが残る。
そして、時が来た時、アセンディッドマスター から、指令が来る。
どこどこで、何々をしなさい・・と。
2017年の、壱岐の島での祈り、2018年のギリシャのデルフィー神殿での祈り、ハワイ島での祈り、2019年5月の稚内、利尻島の祈りは、全て、この夏至の富士での祈りにつながるものだった。
つづく・・。