コロンビアから戻ってきてから、数日がたち、山の様なメールへの返信も一段落してきた。
ヤッタ~! というところで、やっとブログの更新なのである。
コロンビアで行われた祈りの集会は、シャーマンと参加者を合わせて、50人ほどの小さなギャザリングだった。
6日間に渡って、とっても濃い話し合いと、祈りがなされた。
地球と人類にとって、すてきな花を咲かせる種に栄養となる水を注ぎ込んだ感じを得た。
行って良かった。
手応えを感じたし、また、これから意識を持ってしなければならない明確な宿題も与えられた。
この祈りの集いが始まる20日前、突然、コロンビアのギャザリングの主催者から、来て欲しいという旨の電話が来た。
マモたちは、セドナでおこなったギャザリングの後、コロンビアでも緊急にやる必要性を感じたらしい。
あまりにも急なことだったので、どうしようかと思ったが、どうにかお金と仕事の調整ができたので行く事にした。
自腹で世界中を巡礼する身にとっては、本当にどうにかこうにかなのである(笑)
よく、こうも度々行けるよなーって自分でもびっくりするのである(爆)
沖縄のかみんちゅの和美さんと、セドナのモトイちゃんにも声をかけたら、なんと二人ともどうにか行くことができるということで、すばらしいのであった。
一般参加者のほとんどは、ドランヴァロ・メルキゼデク関係の人たちで、身体のどこかに、フラワー・オブ・ライフを身につけていた。
コギ族が世に知られるようになったのも、ドランヴァロが書いた本によるところが大きいのだと、あらためて実感した。
ギャザリングの初日、山の上のコギ族の聖地に全員が集合した。
コギ族とアルワコ族のマモ(高僧)と、マヤ族のアレハンドロ長老と、パプロ長老はすでに先にそこに向かっていた。
私たちは、他の参加者たちと、貸し切りの都市仕立ての大きなバスでそこに向かった。
ところが、あまりにもオフロードなため、バスが先に進めなくなってしまった。
都市仕立てバスは、車高が低いのである。ましてや、車体が長過ぎて、細い急カープの山道には、不適なのである。
大きな凸凹があるたびに、全員がバスから降りて、車高を少し高くして、どうにか、途中まで乗り切ったが、ついに立ち往生してしまった。
あ〜〜らら。どうするのでしょう。
まだ、この先は長いのである。
・・・と思っていたら、山の上から、トラックがすごい勢いで走って来た。
私たちもびっくりしたが、トラックも大きくカーブした先に40人の人たちが道路で立ち往生しているとは思いもよらなかったのであろう。すごいあせった顔で急ブレーキをかけてどうにかストップした。
よかった・・だれもひかれなくて・・と、真剣に思った。
バスの運転手がトラックの運転手と交渉をした。
一人5ドルくらい支払って、みんなで荷台に乗せてもらうことになった。
なんか、コロンビア的な流れなのである。
たぶん、普段は豚とか何かの動物を運んでいるのだろう。
トラックの荷台で揺られていたら、家畜の気分になった(笑)
山の上の聖地に着いたら、マヤのアレハンドロ長老(タタ)が道ばたに、ヒョコンと座っていた。トラックから降りて、タタに走り寄った。
「タ〜タ」と呼びかけた。
まさか私が来ているとは思っていないタタは、目線が会い、私とわかるまで、数秒かかった。
わかった瞬間、立ち上がって、思いっきりの笑顔でぎゅっとハグをして、ほっぺたをペタペタとくっつけてきた。久しぶりの再会をお互いにとても喜んだ。
ここの聖地は、コギ族にとってとても大切な神聖な場所。
大きな石が入り口にあり、脳みそみたいな絵が彫られている。
その奥の石は少し小さめだが、やはり脳みそのような絵が書かれている。
人間のような宇宙人のような形をした絵もあり、頭と脳みそのようなものが繋がって書かれている。
私たちは、ここで始まりの儀式として、コットンセレモニーをおこなった。
私たちのマインドの中と体にあるネガティブなものを全て、この白いコットンに吸収させていった。
その後、母なる大地に感謝を捧げた。
セレモニーが終わり、身も心もきれいになった私たちは、また荷台で家畜気分になり、
私たちを待つバスのところまでゆらゆら揺られて行った。
その後、海沿いのギャザリング場所へと移動した。
つづく・・。
ヤッタ~! というところで、やっとブログの更新なのである。
コロンビアで行われた祈りの集会は、シャーマンと参加者を合わせて、50人ほどの小さなギャザリングだった。
6日間に渡って、とっても濃い話し合いと、祈りがなされた。
地球と人類にとって、すてきな花を咲かせる種に栄養となる水を注ぎ込んだ感じを得た。
行って良かった。
手応えを感じたし、また、これから意識を持ってしなければならない明確な宿題も与えられた。
この祈りの集いが始まる20日前、突然、コロンビアのギャザリングの主催者から、来て欲しいという旨の電話が来た。
マモたちは、セドナでおこなったギャザリングの後、コロンビアでも緊急にやる必要性を感じたらしい。
あまりにも急なことだったので、どうしようかと思ったが、どうにかお金と仕事の調整ができたので行く事にした。
自腹で世界中を巡礼する身にとっては、本当にどうにかこうにかなのである(笑)
よく、こうも度々行けるよなーって自分でもびっくりするのである(爆)
沖縄のかみんちゅの和美さんと、セドナのモトイちゃんにも声をかけたら、なんと二人ともどうにか行くことができるということで、すばらしいのであった。
一般参加者のほとんどは、ドランヴァロ・メルキゼデク関係の人たちで、身体のどこかに、フラワー・オブ・ライフを身につけていた。
コギ族が世に知られるようになったのも、ドランヴァロが書いた本によるところが大きいのだと、あらためて実感した。
ギャザリングの初日、山の上のコギ族の聖地に全員が集合した。
コギ族とアルワコ族のマモ(高僧)と、マヤ族のアレハンドロ長老と、パプロ長老はすでに先にそこに向かっていた。
私たちは、他の参加者たちと、貸し切りの都市仕立ての大きなバスでそこに向かった。
ところが、あまりにもオフロードなため、バスが先に進めなくなってしまった。
都市仕立てバスは、車高が低いのである。ましてや、車体が長過ぎて、細い急カープの山道には、不適なのである。
大きな凸凹があるたびに、全員がバスから降りて、車高を少し高くして、どうにか、途中まで乗り切ったが、ついに立ち往生してしまった。
あ〜〜らら。どうするのでしょう。
まだ、この先は長いのである。
・・・と思っていたら、山の上から、トラックがすごい勢いで走って来た。
私たちもびっくりしたが、トラックも大きくカーブした先に40人の人たちが道路で立ち往生しているとは思いもよらなかったのであろう。すごいあせった顔で急ブレーキをかけてどうにかストップした。
よかった・・だれもひかれなくて・・と、真剣に思った。
バスの運転手がトラックの運転手と交渉をした。
一人5ドルくらい支払って、みんなで荷台に乗せてもらうことになった。
なんか、コロンビア的な流れなのである。
たぶん、普段は豚とか何かの動物を運んでいるのだろう。
トラックの荷台で揺られていたら、家畜の気分になった(笑)
山の上の聖地に着いたら、マヤのアレハンドロ長老(タタ)が道ばたに、ヒョコンと座っていた。トラックから降りて、タタに走り寄った。
「タ〜タ」と呼びかけた。
まさか私が来ているとは思っていないタタは、目線が会い、私とわかるまで、数秒かかった。
わかった瞬間、立ち上がって、思いっきりの笑顔でぎゅっとハグをして、ほっぺたをペタペタとくっつけてきた。久しぶりの再会をお互いにとても喜んだ。
ここの聖地は、コギ族にとってとても大切な神聖な場所。
大きな石が入り口にあり、脳みそみたいな絵が彫られている。
その奥の石は少し小さめだが、やはり脳みそのような絵が書かれている。
人間のような宇宙人のような形をした絵もあり、頭と脳みそのようなものが繋がって書かれている。
私たちは、ここで始まりの儀式として、コットンセレモニーをおこなった。
私たちのマインドの中と体にあるネガティブなものを全て、この白いコットンに吸収させていった。
その後、母なる大地に感謝を捧げた。
セレモニーが終わり、身も心もきれいになった私たちは、また荷台で家畜気分になり、
私たちを待つバスのところまでゆらゆら揺られて行った。
その後、海沿いのギャザリング場所へと移動した。
つづく・・。